谷中まちあるき/小樽プレゼミ/総会/八島花まちあるき これからの歴史まちづくりを考えた二日間
更新日:11月11日
今年度の全国町並み保存連盟総会にあわせて企画されたイベントは、いずれも、これからの歴史まちづくりを考える上で、とても興味深いものだった。
総会の前日6月3日(土)は、10月に小樽で開催される第46回全国町並みゼミ小樽大会のプレイベントとして、谷中のまち歩きのあと、ズバリ「これからの歴史まちづくりを考える」というタイトルでシンポジウムが行われた。谷中と小樽がどこでどうつながっているのか?、後で述べよう。
翌日の総会は、墨田区京島の「旧邸稽古場(きゅうていけいこば)」を会場に開催され、午後、八島花まちあるきを行った。八島花は、かつての向島区を構成する八広、向島、京島、寺島、文花、立花を縮めた名前。戦災をくぐり抜けた京島で、長屋などを再生する取り組みが行われており、会場もその成果のひとつだ。2月10日に設立されたばかりの一般財団法人八島花文化財団のお世話になった。
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1日目の午後1時、会場の東京文化財研究所地下セミナー室には、小樽からの14人を含む100名弱が集まり、谷中のまち歩きがはじまった。谷中はいつ行っても新しい発見がある。私の今回の発見は、今さらながらNPO法人たいとう歴史都市研究会理事長の椎原晶子さん、その人。歴史の蘊蓄から、建物をまもるための所有者との関係づくりまで、ほとばしる言葉に圧倒された。そういえば、椎原さんにちゃんと案内していただくのは今回が初めてだったかもしれない。
で、その谷中と小樽がどこでどうつながっているのか? 答えは、ともに重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)をめざしていることである。小樽は、1970年代半ば伝建地区制度制定前後に国が調査の候補にあげていたのを断り、1983年に条例を定めて歴史的建造物の保存を図ってきた。しかし、歴史地区内に点在する、鉄筋コンクリートを含む近代の遺産を守るためには、エリアとして捉え、最新の修復技術を注ぎ込むことが必要で、国の制度の活用へ舵を切った。谷中は、地域雑誌『谷根千』や谷中学校の活躍で、そのユニークな性格が描き出されてきたが、建物は、空襲に遭わなかったふつうの町並みだ。それが、相続や建築基準法などで存続の危機に面している。ふたつの地区とも、126地区を数える重伝建地区の既成概念を超える。そここそが、これから歴史まちづくりを考えるポイントだ。この二地区が重伝建地区になることができるのか? あるいは50年を経た重伝建地区が時代の要請に合わせ変容する必要があるのか?
シンポジウムは、私が以上のような内容を「趣旨説明」したあと、西村幸夫・國學院大学教授が「わが国の歴史まちづくりのあゆみ」と題する講義を行った。西村さんは、明治以降の文化財保護やまちづくりの動向を振り返った後、現在を「外部からの破壊ではなく、内部からの崩壊をくいとめないといけない」新たな段階と位置付け、この時代の転換点に、今後の歴史まちづくりをどう描くかが私たちの責務と結んだ。
続いて、4地区から以下の発表が行われた:
*発表を文字起こしした「小樽プレゼミ記録」を作成しました。また下の赤い字をクリックするとスライドのPDFを見ることができます。記録の番号とスライドの番号は対応しています。対照しながらお読みください。
小樽市・廣瀬久也さんの「小樽の歴史まちづくりの取組み」
金沢大学名誉教授でNPO法人「金澤町家研究会」理事長の川上光彦さんの「金沢市の歴史まちづくりと寺町台伝建地区」
都市計画の専門家として横浜のまちづくりに長年たずさわってきた菅孝能さんの「歴史を生かした協働のまちづくり:横浜・山手・湘南の取り組み」
川越市で長年景観行政を担当していた加藤忠正さんの「町並み保存のプロセス‥‥川越の場合」
小樽では、重伝建地区も視野に入れ、現在「歴史的風致維持向上計画」を作成中である。廣瀬さんは、「点在する歴史的建造物をどう考えていくのか」という基本課題をあげ、技術、経済、保全意識、継承、保全体制など多岐にわたる個別の課題に取り組む必要があるとした。
日本でもっとも歴史環境保全のシステムが整備されている金沢からは、とくに寺町台重伝建地区に焦点を当ててお話をいただいた。谷中が重伝建地区を目指すとしたら寺町というジャンルによることになるかもしれないという想定からだ。寺町台地区は、旧街道沿いには町家も並び、谷中と似ている。川上さんは「お寺と地域の関わりが薄れていく中で、住民活動の活性化が課題」と結んだ。
港町・横浜は、小樽同様、これまであまり国の制度に頼らず、独自の仕組みで歴史まちづくりを行ってきた。管さんからは、特に行政と住民が時に協力、時に対立しながら歴史まちづくりを進めてきた山手地区についてくわしくお話をいただいた。その横浜市も、現在は「歴史的風致維持向上計画」に取り組んでいる。横浜市も財政が窮屈になってきたということのようだ。菅さんはまた、明治から昭和初期にかけて別荘地として発展してきた藤沢市湘南をとりあげた。湘南の邸園文化の保全・活用の機運が高が高まり、幅広い市民活動のネットワークが生まれ、歴史まちづくりへ向けた活動が始まっている。ただし、歴史的風致維持向上計画の要件となるような指定文化財はなく、国の制度の活用が難しいという。
川越は、1985(昭和60)年から歴史的地区環境整備街路事業(歴みち事業)に取り組み、その後、重伝建地区、「歴史的風致維持向上計画」、景観法にもとづく景観計画と、国の制度ををフルセットで備えている。「歴史的風致維持向上計画」では、重伝建地区外の歴史的建物を積極的に「歴史的風致形成建物」に指定しており、その数は94件に及ぶ。一方で、住民・市民による活動もしっかり行われている。重伝建地区では、「町並み委員会」が「まちづくり規範」を定め、町並みを自主的にマネジメントする活動を伝建地区になる以前から続けている。近年では、「川越蔵の会」をはじめ、市民によるリノベーション活動も盛んである。加藤さんもその一人で、蔵造りの「百足屋(むかでや)」を運営している。同氏は、これら市民組織が力をつけ、権限も強化し、それを行政や関係団体が継続的に支援していくことが必要だと結んだ。
つづくディスカッションで、司会の下間久美子・國學院大学教授は、小樽の広瀬さんが掲げた課題を振り返り、特に保全体制について各発表者に問い、次のように結んだ。「制度の充実には、やはり住民が声をあげていかなければならない。それにはみんなが制度の仕組みを理解する必要がある。そうすることで新しい仕組みを提案できる。そこまで切り込んでいかなければいけないと思う」
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全国町並み保存連盟2023年度総会。会場は明治通りに面した二軒長屋の一階に設けられたレンタルスペース「旧邸稽古場」。2階は宿泊室で、参加者の何人かは、昨晩ここでお世話になったそうだ。背後に広い庭がありとても明るい。アットホームな雰囲気の中、総会では小樽からの今年の町並みゼミの準備状況の報告があり、議案採択後のフリーディスカッションももりあがった。昼食の後、「八島花文化財団」代表の後藤大輝さんのお話をうかがって、まち歩きへ出発した。
後藤さんは、昨年の全国町並みゼミ新潟市大会で第6分科会にパネラーとして登壇した。信濃川対岸にある港町・沼垂(ぬったり)と流作場(りゅうさくば)に形成された路地の町・天明町を舞台に「路地のある町をどう安全に、魅力的にしていけるか」をテーマとした分科会だ。後藤さんの、空き家となった長屋を改修し、アーティストたちが次々と店を開くという京島プロジェクトの発表に目を剥いた。後藤さんは、その夜の関東ブロック会議で谷中の椎原さんと「都市部の長屋路地、歴史的環境保全を支援する宣言」を提案。翌日の閉会式で、ふたりが宣言を朗読する様子を記憶に留めている方も多いだろう。
旧邸稽古場2階の宿泊室を皮切りに、隣の三軒長屋旧邸、明治通り反対側の六軒長屋のコーヒーショップYOMOCK、爬虫類分館にフランス人が開いたワインショップ、バーバーアラキ、3階建ビルの元お茶屋(屋上からは見渡す限りの屋根並みにスカイツリーが聳え実に絶景)、パンのハト屋、京島共同木工所、暇と梅爺株式会社本社ビル(もとブリキ職人の木造二階建て)、けん玉横丁、三角長屋、新築長屋、京島駅、会員制図書室・宿泊施設KAB、学生さん向けシェアハウスへ改装中の瓦屋根平屋長屋、踏切長屋、文花会館、平屋別館、URDANAと駆け足で回った。途中、極小建売住宅の現場があった。空地はこのような「超ミニ開発」の対象になっていくケースが多いという。みんなと別れてYOMOCKでコーヒーをいただいた。今日の体験をどう消化すればよいのか、考えがまとまらないまま、まもなく夜のおでん屋へ衣替えする店をあとにした。
京島は、東京の代表的な木造密集地域である。大学3年生のとき、専門課程へ進学した最初の演習も「京島へ行ってこい」だった。行政が最初にとりあげたのは美濃部知事の時、「広場と青空の東京構想」の一環であったと記憶している。その報告書『墨田区京島調査報告:地区計画への試論』(東京都企画調整局、昭和49年11月)は大切な蔵書の一冊だ。そのころ、京島のまちづくりを歴史まちづくりと呼ぶ発想はなかった。地区修復=町並み保存という認識はあったが、京島を歴史的地区ととらえるまでには至っていなかった。その後も京島は、木造密集地域の改善が基本テーマで、実際、前世紀の終わり頃には、一部地区で、道を広げ、空地を公園に変え、鉄筋コンクリート3階建てのコミュニティ住宅を建てる整備事業が行われた。その整備を見て少し違うなと思った人は多いはずだ。私が奉職した千葉大学建築学科でも、20年ほど学生の設計課題の場所にとりあげ、解答を模索した。そのような場所で、後藤さんたちの、古い建物を直して使うという「実力行使」ともいうべき活動が始まっていた。資料によれば、2010年(平成22)の爬虫類分館が第一号である。負の遺産と思われていたものを「地域文化を継承する幸せな建物と人」へ変える(パンフレットより)。思えば20世紀半ばに始まった歴史都市再生そのものではないか。
来年は全国町並み保存連盟発足50周年。来年の全国町並みゼミでは、これまで学んできたHUL(Historic Urban Landscape)の概念を踏まえ、これからの歴史まちづくりへの展望を語り尽くしたい。
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