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上野邦一

林 文二さん追悼

去る3月2日にご逝去された、全国町並み保存連盟第二代会長・林文二さんへの追悼文を、奈良女子大学名誉教授・上野邦一先生からいただいた。ここに掲載して、故人の功績をしのび、ご冥福をお祈りしたいと思います。


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 妻籠の林文二さんが3月2日に御逝去された。お元気であると、お聞きしていたのに、突然の訃報だったので驚いた。

 この追悼文は連盟機関紙に掲載なので、多くの方々は林文二さんというと連盟会長のイメージが強いだろうと思います。会長を辞した後は連盟顧問を務めていましたから。けれども、私にとっては、連盟の林さんより妻籠の林さんの印象が強いのです。

 妻籠宿の町並み保存のきっかけの一つが林家の建物保存です。経緯は『妻籠宿 その保存と再生』(太田博太郎・小寺武久著、彰国社、1984)に詳しい。当時、古民家を買い移築して料理屋などに利用することが、全国で横行していました。林家にも、そうした買手が訪れていた、と聞いています。林家は、妻籠宿脇本陣の家柄で、建物は明治十年(1878)の建設です。妻籠宿には本陣であった島崎家の建物はありませんから、妻籠宿にとってシンボル的存在でした。妻籠宿を残していくには、なくてはならない建物だったのです。

 林文二さんを取り囲む方々が、売却を止めさせ資料館として残すことを進言していました。林さんは、建物を現地に残すことを選択しました。この決断は、妻籠宿保存を加速させたことに間違いないでしょう。現在は主屋のほか蔵二棟と侍門一棟が重要文化財に指定されています。

 林家の建物には隠し部屋と言われる三階の小部屋があります。二階からこの部屋へ至る板戸を閉めると、三階の部屋の存在は分からなくなってしまいます。それをいいことに、私は板戸を閉め、この小部屋での昼寝を楽しんだものです。風が通り抜けて、夏でも心地良かったことを覚えています。

 民家調査では、平面図、断面図などの基本図面のほかに、架構図という独特な図面を作成します。柱、差物、貫、梁などの構造を構成する部材がどのように組み合うかを図面に表現するのです。林家で、この図面の担当となった私は、屋根裏に入って半日の間、暗闇から出ずに図面を描いていました。懐中電灯を頼りに、です。長い時間、屋根裏にいた記憶が想い出深いです。架構図を担当したから、家の隅々を見ることになり、結果として三階の小部屋の存在にも気づいたという役得もありました。

 想い出話はこれぐらいとし、妻籠宿の保存が動き始めて林 文二さんに会い、その後はしばしば顔を合わせることになりました。記憶がさだかではありませんが、たしか当時営林署に勤務していたと思います。退職後、妻籠に戻り、町並み保存の矢面に立たされた、という感じです。脇本陣奥谷の林さんは、建物だけでなく、運動の面でもシンボル的存在になったのです。本人は、祭り上げられたことを、やや煙たがっていたように思いますが、しかし、巡ってきた役割を見事に果たしていったのです。

 全国町並み保存連盟が発足すると、早い時期に会長に推されました。初代会長のあと第二代会長を、1979年から15年ほどと長く務めました。初期の町並み保存連盟は、住民主体で意見も様々でした。多くの方々の異なった意見を辛抱強く聞き、皆さんが納得した結果を、責任をもって実行するタイプだったような気がします。率先して、皆さんを引っ張るのではなく、まとめ役に徹して信頼を集めて、堅実に連盟を町並み保存運動体に育てていった功績は大きい、と思います。 

 妻籠の将来を、町並み保存の将来を、もうすこし語り合いたかった、と思うと残念です。

 御冥福を祈るのみ。合掌。


 令和3年3月末日


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