第4回峯山賞は、谷根千のみなさんへ
第4回峯山賞は、東京の谷中・根津・千駄木で26年にわたり地域雑誌『谷根千』を発行し、東京の歴史的環境の保全にも多くの功績のあった谷根千工房の、森まゆみさん、仰木ひろ子さん、山崎範子さんの3人が受賞。第42回全国町並みゼミ川越大会二日目の閉会式で、記念品と副賞が贈呈された。同誌は10年前に終刊したが、地域活動は今も続いている。
下手な解説より、当日の3人のスピーチが素晴らしかったので、それを再録しよう。
記念品と副賞の贈呈の後、拍手の中、まず森まゆみさんが受賞のあいさつの口火を切った。
年の頃だけは経てきて、私たちも20代で活動を始めて、もうみんな60代になりました。36、7年ずっと、地域の住んでいる方の声ですとかを聞取りながら、それを記録にしてきました。これは宮本常一さんが言ってることですけど、やっぱり「記録されないものは記憶されない」ということがあります。ちょっとしたことでも、あとになると忘れてしまうようなことを必ず聴きとるようにということでずっとやってきた。それと一緒に保全とか再生とかをやってきました。
峯山さんには、私たち最初に始めたころに、新橋の町並み保存連盟にうかがって、はじめてお会いして、みんさんがほんとうに尊敬していらしゃるの見て、またその方が小樽運河の保存運動をなさったんだということを聞いて、やっぱり頑張ろうと思いました。
峯山さんは60歳から活動されたそうなんですけれど、私たちは30前からやっておりますので、また峯山さんは96歳まで現役だったので、私たちもあと30年ぐらい頑張れるかなと思っています。(笑)
また峯山さんの旦那さまが峯山巌さんという先生で、北黄金遺跡の発掘の考古学者でいらっしゃったんですけど、私、一回小樽に峯山さんに呼んでいただいた時、お寿司をご馳走になりながら、うちの主人は彰義隊の末裔なのよっておっしゃったので、本当にびっくりしました。私たちの地域にとって一番大きな 近代になるメルクマールである上野戦争の、しかも彰義隊の一番最初に集まった何人かの同志の一人に小林覚五郎という人がいまして、その方が、先祖だそうなんですね。それでほんとに、どうやってこの上野から転戦しながら東北を北上して函館まで行って、またそこで小樽に定着なさったのか、もっと詳しく知りたかったのですが、非常にご縁を感じました。*編集部注:森さんには『彰義隊遺聞』という著書があります
ほんとうにどんな賞よりも、今日こういうふうにみなさんに認めていただいたことがうれしくて。私たちは10年前に雑誌が終わってしまったので、このところまったく見る影もなく、事務所の運営にも苦労していますけれど、今まで集めた資料のデジタル化とか整理などにすごくお金がかかりますので、大変嬉しいです。どうもありがとうございました。(拍手)
拍手の中、仰木ひろ子さんがスライドを上映しながら話を継いだ:
谷根千の写真などです。私たちは20代後半ぐらいにひとり5万円づつ出し合って、それで最初の一号をつくりました。三号雑誌では終わるまいということで、こういうお祭りに出て売ったりとか、いろいろしてきました。26年間、3人でけんかしながらやって来ました。10年前に出すのはやめましたけれど、まだいろいろ地域の活動もさせていただいていまして、先ほどの話ではないですけと、まだあと30年ぐらい(笑)、ちょっとつらいかなと思っておりますけど、気力の続く限り、地域にかかわっていけたらと思っています。ありがとうございました。(拍手)
ひき続いて、山崎範子さが、最近の活動について紹介を始めた:
今映っているのが安田邸です。さっきの仰木が安田邸のマネージャをしています。私たちにとって思入れのある、また一番遺してよかったなあと思っている建物です。みなさま、東京の方ですけど、ぜひ一度来てください。
日暮里の富士見坂です。富士山は2013年に見えなくなっているんですけど、「見えないともっと見たい。」富士見坂眺望再生プロジェクトというのを今やってます。眺望ラインの所に建物が建つときは未だに、ここは富士山の通り道なんで、できれば今見えないけれど、50年後に見えるようにするために建てないでくださいというお願いを、今度2月の6日にも一件行ってくるんですけど、続けています。荒川区も「眺望の予約」という画期的なパンフレットをつくって一緒にやっています。今、富士見坂の柵に、募金をいただきながら、見えたときの景色を貼る活動をしています。3776円募金といって、3人集まって一枚のパネルを作るというのが、やっと24枚になりました。64箇所あるので、なんとか柵をいっぱいにしていきます。
これは谷中にあった鋸屋根の工場です。これもなんと調べて見たら明治27年に建てた、日本で初めて洋式のリボンを織った工場だということがわかりました。今解体されていますけれど、部材を、澁澤倉庫さんのご好意で4年間ずっと預かっていただいたんですが、最近東金の方に移して、なんとか活用できないか、待っているところです。そこから出て来た100年から120年前の絹のリボンです。リボンの見本帳や現品もありますが、これは調査を終えて、今度、今年中に東京家政大学博物館に寄贈して展示してもらうことになりました。
この、リボンとかノコ屋根の活動とかは、谷根千の雑誌が終わった後に出て来たもので、もうその度に、町の人みんなに結構手伝っていただきながら、人からお金をむしり取りながら、いろんな活動をしています。で、これからやらなければいけないのが、アーカイブ化の作業です。画面の右下にあるのが大正期の千駄木にある蔵なんですが、今この蔵を事務所として活用しています。二階を今まで集めた資料を置いています。それをアーカイブ化する活動をいま進行中です。もうひとつ・・・
森さんがそのあとを継いだ:
谷根千の場合は次の世代がたくさん育ってきてくれいています。先ほどでてきました宮崎君たちのHAGISOとか、中村譲君たちの「まちあかり社」とか。不動産部門に手を広げて、地域の信用金庫が谷根千まちづくりファンドというリネベーションにお金を出してくれるシステムもできています。これから私たちは、その若い人たちを応援しながら次の世代を育てたいということで、4月から私たちはバーのマダムになることになりました。私はさすらいのママというのをやっていて、あちこちで若い子たちにいろんなまちづくりの話をしているんですけれど、どうにか根津の駅前に奇特な方が安い値段で場所を貸してくださるそうなので、これからは日替わりママということで、3人で、またもっと違う仲間も集めて地域のまちづくりの活動家を、次の世代を育てるための場所にしたいと思っています。
以上です、どうもありがとうございました。(拍手)
当日は、たくさんのスライドを用意していただいていたのだが、ゆっくり説明していただく時間がなかった。申し訳けありません。山崎さんが紹介されていた活動については、以下のサイトで詳しく知ることができます:
月刊のこぎり屋根:http://nokoyane.com
また、谷根千工房のみなさんの活動は、次の谷根千ネットで見聞きすることができます。
谷根千ネット:http://www.yanesen.net/
あと30年、いっそうのご活躍を祈っています。