関東ブロック町並みゼミin栃木:重伝建地区のあり方を考える機会となった
7月9日(土)、栃木で「全国町並みゼミ開催30周年記念:関東ブロックゼミ」が開催された。栃木では、ちょうど30年前の1989年7月に「生かそう蔵の街」をテーマに第12回全国町並みゼミが開催されている。今回は、来年1月に開催する第42回全国町並みゼミ川越大会のプレイベントという位置付けもあって、川越から約20名が参加。川越の衆は6月30日に鶴川座の最後の見学会を行ったばかりで意気阻喪していたが、栃木で心機一転、にぎやかなブロックゼミとなった。
午前中の町歩きでは、旧栃木役場庁舎とヤマサ味噌工場跡地の改修工事の現場を見学した。栃木市の積極的な取り組みに感心。昼食は嘉右衛門町の油伝で田楽と焼きおにぎりをいただき、午後から同じ油伝の味噌蔵前のお座敷を会場に討論集会が持たれた。
今回のゼミの趣旨は、フライヤーに次のようにうたわれている:
栃木では、2012年に重伝建地区の選定が行われた折、蔵の街大通りが外されたという経緯がある。早く、大通りも伝建地区に含めてほしいという願いが、今回の町並みゼミ開催の背景である。
討論集会では、市役所の中田芳明さんの「栃木の蔵づくりと嘉右衛門伝建地区」と題する現状報告ののち、連盟顧問の苅谷勇雅さんから「重伝建は何をもたらしたか」という基調講演があった。現状報告では大通りの件は触れられなかったが、苅谷さんは、用意したスライドが使えない(プロジェクターがなかった)という障害をものともせず、「重伝建地区のもたらしたもの」と「重伝建の課題と期待」を整理し、後者のひとつとして「重伝建地区の拡大と増加への期待」を掲げ「栃木市蔵の街の早期の指定が必要」と訴えた。
苅谷さんは、①全国には450近くの歴史的町並みがあり、②伝統的建造物群保存対策調査済みで未選定地区が73地区ある、と指摘。さらに、③既伝建地区は、町並み・集落の範囲をかなり限定的に指定しているとして、栃木を含め多数の地区で範囲の拡大が必要だと訴えた。
なぜ、蔵の街大通りは重伝建地区の選定から外されたのか? 後半の討論では、大通り地区を横切る都市計画道路があることが最大の理由としてあげられた。早く障害を取り除いて、伝建地区指定と重伝建地区選定の作業を進めるべきだ。
苅谷さんの話を聞き、栃木の現実を見て、伝建地区制度をもう少し改善できないかと考えた。
栃木でも川越でも、日本の多くの歴史的都市では、歴史的建物は必ずしも大規模に集中して遺っていない。ある程度のかたまりで、数軒で、あるいは単独で点々と遺っている。そこに伝建地区を設定しようとすると、苅谷さんが言うように「既伝建地区は、町並み・集落の範囲をかがり限定的に指定」することにならざるを得ない。こうして設定した伝建地区でも、たとえば川越一番街は通りぞいの約90区画のうち、町家が遺っているのは半分以下である。それはそれでやむを得ないのだが、問題は伝建地区の外に、多くの点在する歴史的建物が取り残されることである。地区外では、まわりに景観地区を設定したり、歴まち計画をたてたり、さまざまな工夫が行われてきたが、よほど立派な建物以外には保存の手は及びにくい。重伝建地区はすばらしい制度だが、反射的に重伝建地区外の、特にふつうの歴史的建物への配慮は手薄になる。
私が思い描くのは、歴史的な都市の範囲をいったん、たとえば文化的景観に指定して、その中にさまざまな規模の伝建地区を展開できないかということである。きめ細かなゾーニング地区の設定は、欧米の土地利用規制ではごく普通に見出される。
ここで、歴史的な都市の範囲とは、川越なら城下町を形成していた十町四門前の範囲、栃木なら、嘉右衛門町、蔵の街大通りに巴波川流域と県庁堀を加えた範囲。要するに戦前までに形成された(高度成長期前までに)市街地の範囲である。建物が残っているかどうかよりも、まず一定の文脈のもとで意味のある範囲を決め、その文脈の中で作られてきた町並みや建物、その他の文化財を保存していく。たとえば、街道沿いを一体の文化的景観に指定するというような応用もできるだろう。
このような実践は、歴史まちづくり法(地域における歴史的風致の維持・向上に関する法律)で始まっている。ただし現状では際立った文化財以外(普通の町家)は対象になりにくい。川越の鶴川座は、風致維持向上計画のリストに載っているにもかかわらず、取り壊された。とはいえ、風致維持向上計画は、都市を歴史的な文脈で一体として捉えてプランを考えるという点で画期的である。ここで見出された知見を、都市計画のマスタープランや規制にぜひ連動するようにすべきだ。また、同法制定の準備段階では「「伝建地区」に含まれなかった町家などの歴史的建物を保存することができるようにする」意図が語られていた。その実現を強く望みたい。
***
嘉右衛門町重要伝統的建造物群保存地区も、必ずしも歴史的な建物が連続して建ち並ぶ町並みではない。しかし、間を埋めるごく普通の商店建築で、若者たちがリノベして店を開く動きが始まっていた。無理に瓦屋根を載せたりする「修景」よりも、違和感なく町並みに魅力を添えていることが印象的であった。
*本稿は、7月31日付「日本の町並み保存50年:総括と展望:倉敷市の伝統美観条例50周年記念シンポジウムから」と合わせてお読みいただけると幸いです。