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  • 福川裕一

川越旧鶴川座の経過


フェイスブックで既報の通り、6月30日(日)川越旧鶴川座の「最後の」見学会が行われた。主催は川越蔵の会と木造劇場研究会。早ければ、週明けにも除却工事が始まるというスケジュールの中で、急遽設定された見学会であった。

 参加は気が重かった。副会長をつとめている歴史的風致維持向上協議会で、たびたび旧鶴川座保存は困難という報告を受けながら、無為に過ごしてきた「古傷」があったからである。協議会は、歴史的風致維持向上計画に関する事項について調査審議する機関である。「旧鶴川座保存活用事業」は、この『川越市歴史的風致維持向上計画』(2011年6月認定)に掲げられ、次のような事業概要が記されている:

「歴史的風致形成建造物に指定予定の旧鶴川座(民間所有)については、映画館として営業していた時期の形状のまま、老朽化が進んでいるが、建築当初の芝居小屋としての形態に復元し、催事施設としての利用を前提とした保存修理(調査・実施設計・工事・報告書)を実施する」

 旧鶴川座の保存は、すぐそばにある旧川越織物市場と並んで長らく川越まちなかの課題であった。それらふたつが歴史的風致維持向上計画に取り上げられた時、多くの関係者は「市が本格的に乗り出した。これで鶴川座保存問題はなんとなる」とホッとした。それから8年、鶴川座に関しては真逆の結論に至ろうとしている。

 どうすればよかったのか? 未だによくわからない。しかし「どういう経過でこのようになったのか?」をたどることはできる。以下、反省をこめて、協議会の議事録に拠りながら経過を整理してみよう。なお、旧鶴川座保存活用事業は平成31(2019)年3月に改定された現計画でも削除されていない

 歴史的風致維持向上協議会において旧鶴川座保存活用事業の方針変更が明らかになったのは、平成29(2017)年2月の第12回協議会だった。議事録の最後に「*協議会終了後の旧鶴川座現地説明、地元商店会長から説明」とあり、次のように記されている::

「事務局より、元の芝居小屋から現在に至るまでかなりの改変がされていること、修復やその後の運営に費用が掛かりすぎることなどから芝居小屋への復原は難しいことを説明。現在は地元商店会と民間事業者が昔の面影を残しながら新しい形で進めていることを報告し、各委員の了承を得た。」

 私は都合があり、鶴川座の見学に参加しなかったのだが、思えばこれが、委員に保存はしないという引導をわたすイベントであった。この年は、一番街町並み委員会の30周年であり、11月には「住民が自主的に町並みをマネジメントするという偉業」を称える記念の式典が行われた(https://www.machinami.org/single-post/2017/12/16/30周年をむかえた川越一番街・町並み委員会)。しかし鶴川座では、保存復元によらないプロジェクトの準備が進行していた。翌年(2018年)2月の第14回協議会の議事録には川越市の次のような報告が記録されている:

「本協議会でも昨年(2017年)現地視察を実施し助言を仰いだが、平成26(2014)年度・27(2015)年度に運営面を考慮した検討会を開催し、芝居小屋としての保存・活用は行政・民間問わず難しいとの意見を専門家からいただいたことが理由である。厳しい財政事情を考慮すると、市が買い取り催事施設として整備することは難しいと判断し、復原にこだわらず、地域のためになるような商業ベースの施設を民間主体で整備・運営する方向となった。また、市はそれを支援する立場で、所有者・地元商店街等と話を進めている。次回の歴まち協議会で正式に報告できるのではないかと思う」(西暦は筆者追加。http://www.city.kawagoe.saitama.jp/shisei/seisakushisaku/fuzokukikan/kaiginokekka/toshi_seikatsukiban/rekimachikyo-kekka.files/14rekimachi.pdf)。

 市が保存を断念したということだ。根拠になったフィージビリティ・スタディのことは見学の折にも、事業性は難しいという結論がでているという説明を聞いていた。「そりゃそうだ。しかしそんな結論に従っていたら苦労はいらない」と思ったことを覚えている。

 協議会では、委員は鶴川座を惜しみつつも、もう保存はできなくなったことを前提に議事が進んだ。進行管理評価シートで旧鶴川座保存活用事業に「計画どおり進捗している」にチェックがついているのはおかしい、などという瑣末な指摘が精一杯であった。

 この年の9月、蔵の会が動いた。「とある会議でインバウンド向けのドーミトリーとショップに建て替える計画を耳にし、部分的でも保存策はないか、所有者である蓮馨寺さんや事業者と面談」「せめて建物の記録だけでも後世に伝えたいと申し入れ、重要文化財の芝居小屋の修理経験のある賀古唯義さんと共に調査に入りました。」(蔵の会の機関紙「蔵詩句たいむす」vol.76, 2019.6.25)

 11月に行われた第15回協議会(私は欠席)で新たな事業の具体的な内容が明らかにされた:

「旧鶴川座保存活用事業についてですが、部材の修復が難しく、復原は困難な状況です。また、保存するには採算面で問題があります。地元の願いは、商業ベースで界隈が活性化する起爆剤としたいということであるため、現在の民間事業者による事業計画となっております。施設概要は、1階が飲食店で、2階から4階は宿泊機能となることを想定しています。 建物のデザインについては、都市景観形成地域なので景観に配慮した建物にしてもらうようお願いすることは可能かと思います。また、旧鶴川座の時代の変遷について、施設に展示コーナーを設けて、歴史を伝えていく予定です。民間ベースのため地域の活性化につながるのであれば経済産業省の補助金を申請しようと考えております。進行管理評価シートの取扱いについてはこれから検討していきたいと考えております。」

 「部材の修復が難しく、復原は困難な状況です」の一句には、厳しく反論せねばならない。繰り返し見せられた屋根が落ちた写真は、舞台裏の楽屋があった下屋部分で、本体はいたって健全である。楽屋の復原も困難とは思えない。

 旧鶴川座は「商店街衰退の象徴」であった(中心市街地活性化基本計画)。保存できないのなら、建て替えるしかないなったのだろう。中心市街地活性化基本計画に掲げられた「旧鶴川座保存活用事業」は「賑わい創出の拠点となる商業施設整備」を行う「旧鶴川座再生・利活用事業」へ変更された。実施主体はTKM株式会社(民間事業者・地元商店会)へ、資金は経産省の補助金へ変更された(平成30年11月29日変更認定。

 6月30日(日)現在、補助金採否の通知を待っているところだ。採択されれば、取り壊しが始まる。

***

 この5月17日の文化審議会で、旧山崎家別邸の重要文化財指定が決まった。旧山崎家別邸は旧鶴川座から400mのところにある。建築年は大正14年、旧鶴川座は明治33年。一方、旧織物市場(明治43年)は、受注業者とのトラブルがあったが引き続き整備工事が進められる予定だ。近接する3つの文化財の行く末を分けたのは、行政の判断である。この経過で痛感するのは、旧鶴川座の保存活用について、もっとオープンに議論し、知恵をあつめることができなかったのかということだ。全国には同様の問題に取り組む多くの人がいる。この数年で、歴史的建物をめぐる投資環境は大きく変わっている。「建築当初の芝居小屋としての形態に復元し」にこだわらない延命措置や暫定利用を工夫することもできたはずである。

 見学会は「せめて建物の記録だけでも後世に伝えたい」と始まった調査の報告会でもあった。ボランタリーに実施されたこの調査は、花道の下の通路の構造を突き止め、劇場独特の簡易蔵造りの構法を明らかにするなど、2008〜9年の調査では明らかにできなかった新たな知見をもたらした。報告で、賀古唯義さん(木造劇場研究会)は旧鶴川座を「東京には失われた江戸の三大芝居小屋を受け継ぐ唯一の遺構」と、数々の証拠を挙げて喝破された。3つの文化財の価値に優劣はない。旧鶴川座をこのまま取り壊しては、川越まちなかの活性化にとってもかけがえのない資産を失うことになる。

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