まちづくりにもグローバルな視点を:第3回峯山賞を受賞した奈良まちづくりセンター・黒田睦子さんのスピーチ
今年で3回目をむかえる峯山賞は、奈良町の歴史環境保全に尽力されてきた黒田睦子さんが受賞した。2018年11月18日、長野松代ゼミの三日目に、片寄俊秀・峯山賞選考委員会委員長より賞状と副賞が贈呈された。黒田さんは、「奈良町を市民の手で蘇らせよう」と1979年に奈良まちづくセンターを設立、理事長を経て現在は顧問をつとめる。賞状手交の後、40年の活動を振り返るお話があった。以下に掲載します。
*町並みの歩き方に奈良町家めぐりマップを掲載しました。あわせてご覧ください。
受賞のご挨拶
この度、全国町並み保存連盟より思いがけない賞を頂き、身に余る光栄に存じます。峯山さんとは小樽運河を守る活動を始められた頃、小樽で初めてお会いしました。「故郷は遠くにありて思うものではなく、近くで守るもの」との言葉が強く印象に残っています。
私の40年の活動のフィールドである奈良市旧市街地奈良町は平城京遷都から1,300年の歴史を重ね、世界遺産・元興寺の門前郷として栄えましたが、戦後の高度成長期に風化し、都市の記憶は忘れ去られました。1979年キーパーソンと共鳴する数人の市民が、「奈良町を市民の手で甦らせよう」との決意のもとに活動を始めたのです。任意団体からスタートして1984年、全国のまちづくり団体では初めての社団法人を取得、5年前、公益社団法人になりました。1991年から現在まで、当センターはまちづくりにもグローバルな視点をと、東南アジアの多くの国々と都市保全ネットワークを結び、笹川平和財団や国際交流基金からの助成を受けて、草の根の国際会議を開催してきました。今年1月は奈良でモンゴル・ウランバートルの市民団体との交流シンポジウムを開きました。
1999年、中国の国費留学生として名古屋大学大学院博士課程に在学中の龍元氏が訪ねてきました。中国武漢市の500年前の明時代の商業都市「漢正街」の保存に熱意を燃やし、奈良に学ぶことが多いとヒアリングに来たのです。龍元氏は学位を取得後、帰国して湖北省武漢市の華中科技大学建築学院教授になり、ゼミ生とともに漢正街の記憶の掘り起しを続けて調査研究資料をまとめ、私まで度々、送ってきました。友人の中国語講師に翻訳して貰い、当センターのHPや季刊情報誌「地域創造」に掲載して応援しましたが数年後、武漢市は都市再開発事業で、「漢正街」を取り壊してしまいました。龍元氏はいま、福建省厦門市の華僑大学建築学院の院長、教授ですが、中国の歴史文化再生の強い意欲を持つ龍元氏から度々、大学主催の国際会議に招かれ、奈良を初め日本各地のまちづくりの事例発表をして、交流が続いています。
当センターは当初より地域の問題課題を発見して、解決するためにシンクタンク機能を磨いて調査研究し、行政の該当する窓口に提案してきましたが1989年、空き家や蔵をミュージアムに活用する「博物館都市構想」を奈良市に提案していました。1998年、奈良市は市制百周年記念事業として、建築家・黒川記章の総合プロジューサーによる「世界建築博覧会」の開催を決定、第1会場をJR奈良駅周辺、第2会場を歴史的市街地の奈良町をとしたのです。当センターの「博物館都市構想」は、まさに建築博とタイムリーな提案であり、奈良市は「ならまちにぎわい構想策定」として受けて1990年、「奈良町都市景観条例」を定めて1994年、45町、1,500件を対象に、「奈良町都市景観形成地区」を指定しました。景観に調和した町家のファサードの修理修景に補助金を出す仕組みです。改修事例が増えて町は美しく甦り、「住みたくなかった町が住んでいて良かった町」になり、市民がハッピーになり観光につながりました。奈良町は官民一体の観光スポットが次々誕生し、生活と観光が矛盾なく一体化して、来訪者は安心感と共感を持つ生活観光の町と評価されています。その後、世界建築博はバブル崩壊により中止されました。
1995年、当センターは百年前の老朽化した伝統的町家を再生活用して活動拠点「奈良町物語館」を開設しました。5年前、同じ町内の奈良市が大型民家を買い取って修復した、「奈良市にぎわいの家」は当センターなど3団体で指定管理者として運営していますが、どちらも世代を超えて多くの市民の交流、活動の場であり、奈良町の重要な観光スポットです。奈良町物語館は毎年、お盆に自治会主催の「カクテル・バー」に変身、ならまちの夜の貌に風情を持つお客さんで賑わいます。
私が理事長就任して2年後の1998年、JR奈良駅周辺開発事業が進められ、高架事業でJR奈良駅舎を取り壊しとのニュース報道に衝撃を受けました。旧JR奈良駅は1934年、鉄道省の柴田四郎、増田誠一・建築技師が設計、昭和初期の和様折衷様式により、当時の技術や叡智がこめられた文化価値の高い近代化遺産であり70年間、奈良の玄関口として風景に定着していました。当センターは直ちに「JR奈良駅を考える会」を立ち上げ、同時期に結成された市民組織「JR奈良駅を生かす会」とともに保存運動に取り組みました。駅舎保存でのシンポジウム、駅舎見学会、関係機関への要望書、アピール文の配布など展開、署名14,000筆を集めました。「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」は、「JR奈良駅は奈良県民だけの宝ではありません。日本国民共有の宝です」とのハガキ作戦を県知事、市長、JR西日本への展開は心強いものでした。2000年12月、建築史の藤森照信・東京大学教授を招き、奈良女子大学記念館でシンポジウム「藤森照信氏が語る奈良の街、建築」を開催。藤森氏は、「古い建物は町に風格を与える。懐かしさは人間の心を安定させる心理的効果がある、その人間特有の感情をおろそかにはできない。」と述べています。
2001年9月、奈良県は一転、全面保存ではなく、曳家工法で中央部だけの保存決定を発表。女性3人がJR西日本本社を訪ねて全面保存への要望をし、JR西日本から、「鉄道の会社として今後、奈良県、奈良市、JR西日本が相互に協力してまちづくりを進められれば良いと考えている、現駅舎の曳家に際し、JRの土地にかかる場合、奈良市からのお話があれば検討したい」と前向きの回答を得ましたが、奈良市からは何ら反応はありませんでした。(社)日本建築学会は全面保存」の要望書を関係機関に届けました。2004年5月、旧駅舎は18㍍北側へ4日間をかけて曳家され現在、奈良市総合観光案内所として第2の人生を歩んでいます。
数年前、奈良県は世界遺産・春日原始林のバッファゾーンである若草山にロープウエー設置計画し、町並みゼミの皆さんにも署名を協力して頂きましたが、幸いにロープウエー設置は撤回されました。昨年から奈良県は国の名勝であり、文化財として保存されてきた奈良公園の2地区に、リゾートホテルを建設という計画を進めています。「奈良公園の環境を守る会」は自然景観が失われると再考を促し、日本イコモス国内委員会の西村幸夫・委員長は奈良県知事に対して、「この事業が貴重な国民的財産である奈良公園の保存・維持・管理にどのように役立つのか、国民、県民、市民の理解を得るにはいまだ説明が不十分です。」と提言書を送っています。住民合意が無いままに、今年12月に着工、2020年にはオープンとのことです。署名活動は継続中であり、「奈良公園の環境を守る会」のHPから、署名にご協力頂ければ幸いです。