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福川裕一

全国町並みゼミ・名古屋有松大会:町並み運動の次のステージへ

記念すべき第40回全国町並みゼミ・名古屋有松大会のスローガンは「町並みはわたしが守る、みんなのものから40年」。有松の人々を中心に組織された大会実行委員会は、歴史的環境保全へ積極的にコミットする決意を表明し、かつ町並みゼミ40年の流れをひとことで言い表した。毎回名セリフが印象にのこる歴代町並みゼミのスローガンだが、その中でもひときわインパクトの強いものとなった。

 改めて確認すると、「町並みはみんなのもの」は、1976年4月17日、「今井町を保存する会」「妻籠を愛する会」「有松まちづくりの会」の代表が、有松に集まって町並み保存連盟を結成した時に作成された連盟紹介パンフレットのタイトルだ。1978年4月、有松と足助を会場に開催された第1回全国町並みゼミのスローガンとしても使われた。「当時の熱い雰囲気は、満20年経った今でも、生々しく思い出す。とくにモットーを論議する中で、「一軒の民家は個人の大事な財産だが、外観は、祖先伝来の町みんなのものだ」と、都市景観の原理をずばり言ってのけた住民の知に、いたく感動したものだった」と、石川忠臣氏が第17回須坂大会(1994年)のレジュメに記している。

 「みんなのもの」から「私が守る」へ、背景にあるのは40年の歴史で培ってきた経験と自信だ。もちろん、この間に制度が充実してきたことと切り離せない。第1回全国町並みゼミが開催されたのは、重要伝統的建造物群保存地区の制度ができた直後であった。そのころ、とりあえず目指すのは、都道府県の数だと聞いたことがある。それが今や115地区となった。

 もっと重要な変化は、人々がさまざまな立場から保存に具体的にかかわるチャンネルが格段に増えたことだ。「私」の代表は建物の所有者だが、自己資金を投じて新たに所有者になる場合から、クラウドウドファンディングに出資するケースまで、関わり方の幅は大きく広がった。少なからぬ若者が歴史的な建物で店を開き、地域団体が町家を活用してさまざまなイベントを組み、改修して宿泊施設などとして活用する例も増えた。

 こうして、私たちが保存の主体として積極的になればなるほど、新しい課題が浮上する。伝建地区や「文化財」以外の歴史的建物の保存と活用を図る制度がはじまったが、そこまでの意識を持つ自治体はごく少数だし、意欲があっても建築基準法などの壁は高い。資金調達の道は広がっているが、まだまだだ。倉敷ゼミの時のモリス・マーチン千葉大学教授の「イギリスで建物の保存がうまくいっているのは、歴史的な建物を保存・修理すると価値があがるというマーケットができているからです」という言葉が忘れられない。かといって安易なビジネスモデルで資産を損なうことは厳に慎まなければならない。

 重要なのは、「なぜ、なにを、どのように保存するのか?」をたえず確認することだ。これは、第1回町並みゼミで講演された稲垣栄三先生が繰り返し発しておられた問だが、今なお常に立ち戻るべき古くて新しい問だ。

 この40年で、われわれは何を達成したか、できなかったことは何か、そして次の10年に何を目指すのか。有松ゼミを、連盟結成時の熱気に想いを馳せつつ、町並み運動の次のステージへ踏み出すスタートにしたい。

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